李成桂は明に対して
高麗王として即位し、王制などもそのままであったが即位後、明へ権知高麗国事と称して使者を送り、権知高麗国事としての地位を認めてもらう。
明より、王朝交代に伴う国号変更の要請を受けた事をきっかけに家臣の中から国号を変えようとする動きが活発化し、李成桂もそれを受け入れた。
しかし李成桂は明に対して高麗王の-王、昌王を殺し、恭譲王を廃位して都から追い出した負い目があり、明へ国号変更の使者を出した際、自分の出身地である「和寧」と過去の王朝の国号である「朝鮮」の2つの国号の案を明に出して恭順の意を表した。
翌年の1393年2月、明は李成桂の意向を受け入れ、李成桂を権知朝鮮国事に冊封して国号が朝鮮国と決まった。
朝鮮は李成桂が新たな国号の本命として考えていたものであり、この結果は彼にとって満足の行くものであった。
しかし明は、李成桂が勝手に明が冊封した高麗王を廃位して代わりの王を即位させたり、最後には勝手に自ら王に即位して王朝交代したことを快く思わなかった。
それゆえ李成桂は朝鮮王としては冊封されずに、権知朝鮮国事のみが認められた。朝鮮に国号を改称した李成桂は新たな法制の整備を。
明より、王朝交代に伴う国号変更の要請を受けた事をきっかけに家臣の中から国号を変えようとする動きが活発化し、李成桂もそれを受け入れた。
しかし李成桂は明に対して高麗王の-王、昌王を殺し、恭譲王を廃位して都から追い出した負い目があり、明へ国号変更の使者を出した際、自分の出身地である「和寧」と過去の王朝の国号である「朝鮮」の2つの国号の案を明に出して恭順の意を表した。
翌年の1393年2月、明は李成桂の意向を受け入れ、李成桂を権知朝鮮国事に冊封して国号が朝鮮国と決まった。
朝鮮は李成桂が新たな国号の本命として考えていたものであり、この結果は彼にとって満足の行くものであった。
しかし明は、李成桂が勝手に明が冊封した高麗王を廃位して代わりの王を即位させたり、最後には勝手に自ら王に即位して王朝交代したことを快く思わなかった。
それゆえ李成桂は朝鮮王としては冊封されずに、権知朝鮮国事のみが認められた。朝鮮に国号を改称した李成桂は新たな法制の整備を。
update:2010年02月22日
